オディロン・ルドンが彼自身の絵画世界を世に問うたのは、1879年、石版画集『夢のなかで』を発表したときでした。このとき彼はすでに39歳、そして発表したものも油彩画ではなく、版画という白黒の世界でした。ルドンは、失意の日々を送っていた青年時代にいくつかの重要な出会いを経験しています。その最たるものは、放浪の版画家ロドルフ・ブレスダンに師事したことです。ロマン主義の申し子であったブレスダンを通じて、若いルドンは「黒」という色の持つ無限の可能性に目を開いたのです。ルドンは自身の木炭や版画による絵画を「私の黒(ノワール)」と呼び、この黒の世界で、奔放な空想と独自の造形のかたちを掘りさげていきました。
ロドルフ・ブレスダン《善きサマリア人》1860~61年作、リトグラフ
オディロン・ルドン『夢のなかで』1879年作、リトグラフ
1880年代の中頃から、ルドンの「黒」は時代を先がける若い芸術家たちの目にとまるようになります。アカデミズムにはうんざりし、かといって写実主義や印象主義絵画の即物性にも飽きていた画家たちは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ、ギュスターヴ・モローと並んで、ルドンを彼らの先駆者として認めるようになりました。エミール・ベルナール、ポール・ゴーギャン、ポール・セリュジエ、モーリス・ドニらは、大気の中の風景の一瞬の印象をとらえることに熱中した印象派の刹那性や、物理現象に基づいた客観主義を批判し、より永続的なものを、より精神的なものを求めていたのです。
ほぼ時を同じくして、ルドン自身の絵画世界は色彩へと移行していきました。そしてここでも、ルドンの空想は音高く羽ばたき、交響楽のように反響する色彩世界を確立したのです。それはまさに、かつて詩人のボードレールが主張し、ルドン自身も唱えた、絵画における画家の想像力の優位を高らかに宣言するものでした。