ナンヤローネ

この絵を描いた人は誰なんやろーね。
なんで絵を描くんやろーね。
なんで絵をみるんやろーね。
いつでもどこにでもなんで絵を描く人、みる人がいるんやろーね。
なんかあるんやろーね。
アートってなんやろーね。

【岐阜県美術館館長 日比野克彦】

「これってなんやろーね?」美術館にきて、作品を観て、ふと浮かぶ言葉。岐阜でよく耳にする言いかたです。けれど、知っていて当たり前とか、知らないのは気まずいとか……そんな思いが邪魔をして、なかなか口に出せない。

だけど、大切な言葉「ナンヤローネ」。

美術作品の理解も、まずは素直に疑問を持つことから始まります。「これってなんやろーね?」と楽に口に出せることが、コミュニケーションが始まったり、それぞれが美術を楽しんだりする出発点です。

もっともっとたくさんの人に美術の楽しさを知ってもらいたい。岐阜県美術館ではそんな思いを大切に「ナンヤローネ プロジェクト」をみんなで創造しています。「ナンヤローネ プロジェクト」は展覧会、イベント、体験・鑑賞プログラム等、さまざまに展開しています。

「ナンヤローネ」とは 館長 日比野克彦からのメッセージ

わからないけど、のぞきこんでみる

「ナンヤローネ」っていうのは、自分はまだ知らない、自分のものになっていない、ちょっと遠いところにある、けど、取りに行く、見つけたいっていう気持ちや態度のこと。

知らないから分からない、経験したことがなくて、怖いから行かない、じゃなくって、自分以外のところ(場所や物事、人々など)がもっている常識に対して、まずは見に行ってみるっていう、そんな気持ちが「ナンヤローネ」。
ちょっと行って見る、ちょっと行動を起こす、知らないこと、分からないことに対してちょっと覗きこんでみるっていう、そんな(主体的で肯定的な)人間の気持ちや心構えが「ナンヤローネ」。

見えないところをイメージする

自分の常識だけに留まらず、他の常識や他者の認識を見に行く。自分とは異なるものを積極的に見に行くっていうのは、多様性(を受容する態度)とか、いろんな人がいるのだなっていう意識をつくり、もつうえで、とても大事なこと。そんな行為ってこんなビジュアルになるかな…。

「ナンヤローネ」のイメージスケッチ、2019年4月 日比野克彦

 

海の中って見えないから、知らないところ行ったことのないところに、ちょっと探りを入れるみたいなね。「ナンヤローネ」は見えない海の中へ糸を垂らす行為に似ているかな。

人間って、見えないところが見えている。自分の世界のほうは見えている。自分の世界は、自分にとって安心感・安定感がある。だから、(それで満足するのではなく)見えていない海の中に糸を垂らすことで、新たな自分を見つけようとする。見えてないところを見ながら、垂らしている糸の先を自分のなかで「こうなっているんじゃないかな」「ああなっているんじゃないかな」ってイメージする。自分でイメージすることで、知らない人や物たちが、新しい自分に気付かせてくれる、そんなことがあるかもしれない。

美術館で感じたことを、日常にもちかえる

でも、そこに行くには、ちょっと非日常的な、「舟」っていうものに乗って行かなくちゃいけない。舟に乗ると、「自分ってなんなのだろう」「自分はどこから来たのかな」って思いを巡らすこともあるだろう。言葉以前の動物的な感覚みたいなものに自分の中で気づいたり、自分の中で無くなったものがまた価値を得るような思いに至ったりするかもしれない。舟に乗って糸を垂らす人に、そんな状況が生まれ「ナンヤローネ」っていう世界が広がっていく。

だからこの舟に乗るっていうのは、美術館に行くってことかもしれないし、身の回りのものに対してちょっと見方を変えるときに、自分でこしらえた態度かもしれない。そのようなことを来館者・鑑賞者に感じてもらいたい。美術館のいろんな作品を見ながら感じたことを自分のこととして自分の日常に持ち帰って、自分でもまた日常の中に舟をつくって、身の回りには知らないことがたくさんあるけど、そういうものに糸を垂らしながら、新しい自分を見つけていってほしいな。

(2019年4月 岐阜県美術館にて)