〜ながラーインタビュー vol.8

人と人、人と作品、人と場所をつなぐ活動に取り組むアートコミュニケーター「〜ながラー」。2020年度からスタートし、現在では約50名が活動しています。
初年度の終盤に行った「実践ゼミ2〜4  舟のおもしろい公開日誌をつくろう」では、〜ながラー同士でペアインタビューを行いました。

コロナ禍によるオンラインミーティングでの活動や、「この舟のろう式」によるオリジナルな企画のあゆみ、世代や職業が異なる人たちとのコミュニケーションなど、さまざまな体験談が綴られています。

インタビューの公開にあたり、実践ゼミの講師である多田智美さん、妹尾実津季さん(株式会社MUESUM)に監修していただきました。

やまださんの姿勢から学ぶ~ながラーの矜持(きょうじ) | やまだけいこ さん

聞き手・文:平岡靖教

 普段は英語の先生として働く傍ら、〜ながラーの活動をしているやまだけいこさん。〜ながラーに参加したキッカケは「対話型鑑賞をやりたい」という事だった。

しかし、新型コロナウイルスの影響で、美術館に集まる形での対話型鑑賞は困難となり、やまださんはZoomを使ったオンラインでの対話型鑑賞を呼びかけた。このオンライン対話型鑑賞に集まったメンバーで立ち上げたのが「岐阜県美術館放送部丸」だ。責任感の強いやまださんはこう振り返る。

「言い出しっぺなので責任感と、形に出来るかな?という緊張感があった」。私も同じ放送部丸の一員として活動しているが、こんな思いがあったとは全く知らず、少し恥ずかしくもあり、申し訳ない気持ちに襲われた。

そんな彼女がこの1年を振り返り、一番印象に残った事は、みんなが非常に才能豊かだった事と話す。ある人はロゴマークやポスターをデザインし、またある人は収録した音声を編集してラジオ番組の様に仕上げた。そんな中で、彼女は新たな隠れた才能を見つける機会があった。それは、動画の編集だった。本当は自分より若い子にやってもらいたかったと笑いながら話すやまださん。しかし「やれます」と言う人は誰もいなかった。責任感の強いやまださんは「やれます」と言ってもらえない限り、人にはお願い出来ないと思い、娘さんがやっているのを見よう見まねで挑戦した。その挑戦した作品の出来映えは、是非岐阜県美術館のYouTubeで確認していただきたい。

本当は対話型鑑賞を通じて、興味が無くても美術館に行ったら面白かったと思ってもらい、美術館に行く目的を少しでも変えられたら嬉しいと話すやまださん。彼女にとって放送部丸は、その入口を作っている感覚だと言う。2年目は、他の〜ながラー活動にも力を入れつつ、放送部丸に戻った時にはもっといいコンテンツを作りたいと話すやまださん。彼女の今後の活躍から目が離せない。

だから舟(チーム)でやる | しまけんさん

聞き手・文:ゆかっち

「~ながラーをやっていなかったら、違う人生になっていたと思う」と生真面目に答える彼を、みんなは親しみを込めて「しまけん」と呼ぶ。

しまけんに「~ながラーをやっていなかったら?」と尋ねると、「経験も人間関係も、これまで自分が培ってきたものとは、ずいぶん違っていただろうなぁ。今までにない人間関係がつくれたことは、自分にとってプラスになりましたね」と答えてくれた。

前列中央でポスターをもつ中嶋さん

〜ながラーの活動について考えていることも聞いてみる。「ここに集まっているのは、同じ考え、同じ志をもつ仲間同士。だから、同じ舟(チーム)のメンバーはもちろん、他の~ながラーも巻き込んで、一緒に活動したらいいと思っていて。ひとつの目標に対して、みんなと共感しながら協働し、達成する。そこから得られる喜びを共有することが、〜ながラーの活動のなかでも一番大切なことだと思う」と語るしまけん。さらに「だから、個人的にやりたいことは、この場には持ち込まないようにしてる。私情や主観が強くなってしまうから。〜ながラーでは、みんなで取り組むことに意義を感じていますね」と語る言葉から、彼ならではのスタンスが浮かび上がってきた。

「みんな”いろんな人に美術館へ訪れてほしい”とか”地域に根差したい”とか強い想いがあって、〜ながラーに参加しているでしょ? でも、よくよく考えてみると、僕はそこまでこだわりがなくて(笑)。仲間と活動ができたら、それでいい」とあっけらかんと笑いながら、でも真剣に答えてくれた。

かつて多くの舟(チーム)で活動していたしまけんに、当時を振り返ってもらった。「舟の掛け持ちは、むちゃくちゃ大変だった」と即答。なかでも「岐阜県美術館放送部丸」については、「想いを同じくするメンバーとの対話は、いつまでも尽きることがなくて。こんなに居心地のいい場所は、なかなか無いですね。グループワークにつきものの、周りを気にして自分の意見が言えないとか、自分の意図が理解されないとか、そういう不安はまったく無縁だったし。お互いを尊重し、共感し合える。”放送部丸”は、自分にとってそういう場所かな。」と、彼は淡々と話す。ともに”放送部丸”で活動していた私は思わず、「私も」と頷いてしまった。