展示室3
明治の金メダリスト 大橋翠石 〜虎を極めた孤高の画家〜

2020年7月23日~9月13日

日本画家・大橋翠石(おおはし すいせき)(1865~1945)は、日本美術史の中でも特別な存在です。明治33(1900)年のパリ万国博覧会で、日本人画家として唯一の金メダル(金牌)に輝き、4年後のセントルイス万国博覧会でも連続して金メダルを受賞した翠石は、当時、世界で最も高く評価された日本画家の一人でした。
大橋翠石は現在の大垣市に生まれ、上京して渡辺小華(しょうか)に師事して絵を学びました。しかし翌年、師や母を立て続けに亡くして帰郷、更に濃尾大震災で被災し、父と家を失います。数々の不幸を乗り越える力を虎の絵に求めた翠石は、研鑽を重ねて独自の画風を完成しました。その後翠石は療養のため神戸の須磨に隠棲し、動物たちを描きながらたった一人で自分の芸術を追求し続けました。
後半生を画壇と無縁で過ごした大橋翠石の芸術を今や知る人は少なくなりつつあります。ですが、彼は生前、横山大観や竹内栖鳳という東西の画壇の巨匠と同等の評価を受けていました。また、明治天皇、東郷平八郎、大隈重信など、錚々たる人々が翠石の絵を愛し、所蔵していました。
本展は2008年に愛知県田原市、岐阜県大垣市で開催された「大橋翠石―日本一の虎の画家」展以降12年ぶりの展覧会であり、各地から相次いで発見された名作によって翠石の画業を通覧できる、過去最大規模の回顧展として開催するものです。セントルイス万国博覧会で来場者を魅了し、「その絵を一生忘れることができない」とアメリカ人を感動させた明治の金メダリスト、大橋翠石。その全貌をご紹介します。

開催概要

タイトル 明治の金メダリスト 大橋翠石 〜虎を極めた孤高の画家〜
開催期間 2020年7月18日(土)~2020年8月30日(日)
【会期変更】2020年7月23日(木・祝)~2020年9月13日(日)
※会期中、展示替がございます(予定)。
1期:7月23日(木・祝)〜8月10日(月・祝)
2期:8月12日(水)〜8月30日(日)
3期:9月1日(火)〜9月13日(日)
観覧料 一般800(700)円 大学生600(500)円
※()内は20名以上の団体料金
会場 岐阜県美術館
主催 岐阜県美術館
共催 中日新聞社
企画協力 神戸新聞社
助成 公益財団法人田口福寿会

※新型コロナウイルス感染症対策のため、日時・内容を変更する場合がございます。

関連プログラム

随時更新いたします。

作品紹介

大橋翠石 略年譜

慶応元(1865)年 4月22日 美濃国安八郡大垣北新五八番戸(現、大垣市新町二丁目)に生まれる。本名卯三郎、通称宇一郎。
明治 19(1886)年 渡辺崋山の息子、小華に弟子入りする。
明治 20(1887)年 師と母が相次いで逝去し、失意のうちに大垣に帰郷。この頃から動物画、特に猫を描いていたが、「猫が描けるのなら虎も」と知人に勧められて虎を描き始める。
明治 24(1891)年 近代以降、最大級の直下型地震「濃尾大震災」で被災。生家が倒壊、父も圧死する。写生に励んで独自の虎の絵にたどり着き、以降、国内の展覧会で連続受賞する。
明治 33(1900)年 パリ万国博覧会で日本人画家として唯一の金メダル(金牌)獲得。
明治 35(1902)年 明治天皇に作品を献上。
明治 37(1904)年 セントルイス万博で金メダル獲得。
大正元(1912)年 結核が悪化し、療養のために神戸・須磨に転居。
大正 11(1922)年 大垣祭の菅原軕に見送り《蹲虎之図》を制作。
大正 13(1924)年 菅原軕に改めて見送り《岩上猛虎之図》を制作。
昭和 7(1932)年 娘の嫁入りに際して、花嫁道具として《大猛虎之図》を描き、贈る。
昭和 19(1944)年 母校、大垣市立東小学校からの依頼に応じて《大虎図》を描き、寄贈。
昭和 20(1945)年 8月30日 疎開していた大垣で逝去。享年81歳。
平成 20(2008)年 10月~12月 愛知・田原市博物館、岐阜・大垣市スイトピアセンターで「大橋翠石―日本一の虎の画家―」展開催。
平成 29(2017)年 4月27日 日露首脳会談で、安倍晋三首相がプーチン大統領に翠石の掛軸を贈呈。