岐阜県加茂郡にある白川町の黒川地区で、2018年より滞在制作事業「東座AIR」が始まり、歌舞伎小屋を活用するようになる。この町は歴史的に地歌舞伎が盛んで、地域の娯楽場として江戸から明治にかけて3つの舞台があった。そのひとつ東座も地域の人たちの手で建造されたが、戦後、他の2つの舞台の消滅とならんで、東座も老朽化のため閉鎖していた。財政難で難航する中で修復が進められ、1989年に東座復興実行委員会主宰、白川町と岐阜県の後援で、アメリカ人による狂言師と地域の歌舞伎による「東座ルネサンスふれあい公演」という国際交流事業が実現する。1991年に現在の東座として再開、5代目中村勘九郎(1955-2012)によってこけら落としが行われ、名誉館主に就任する。こうして東座は、黒川自治協議会の施設として東座歌舞伎保存会によって管理され、町営施設でも商業施設でもなく、また歌舞伎に限定されない住民のための施設として現代に引き継がれる。現在名誉館主は6代目中村勘九郎が引き継いでいる。
東座の滞在制作事業は、2017年創立の「一般社団法人アートアンサンブル白川」によって運営されている。代表理事を塩月洋生が務め、妻の塩月祥子、地域おこし協力隊でやってきた嶋田佑紀、さらに多くの地域住民が支えている。
もともと洋生は宮崎県出身で建築を学んでおり、祥子は春日井市出身で武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科で舞台美術を学んでいた。二人は学生時代、舞踏集団の「大豆鼓ファーム」(主宰星野健一郎)にスタッフとして参加しており、国内巡回していたその舞台は、田んぼや河原など屋外に造られた。都市を離れることで、地域の協力を得ながら表現の場を作っていくことを学んでいた。彼らは岐阜に来る前は名古屋を拠点にしていたが、第一子にアレルギー症状が出たことから食の問題に注目、2006年に食と住と人をつなぐ「はさ掛けトラスト」を立ち上げ、出資を募って有機農法による農作物の生産・流通に取り組み、名古屋から白川町の黒川地区に移住した。さらに、藁のブロックを積んで漆喰や土などをぬって外壁にする「ストローベイル建築」に携わり、地域の協力を得ながらセルフビルドで洋生設計による住居兼スタジオを建設した。一方、祥子は「うたあそびサークルミッキー」の代表を務め人形を使ったうたあそびを白川町の母子とともに展開し、さらに「子どもアート」の講師をつとめ、地域の子育てと芸術活動をつないだ。
2017年に始まった町主催の人材育成講座「白川魅力発見塾」に洋生が参加し、東座を使った滞在制作の企画が形作られ、滞在のための宿泊施設も、基本設計を引き受けた黒川農業研修交流施設「黒川マルケ」内に準備した。こうして2018年にアートアンサンブル白川は滞在制作するアーティストの募集を開始した。それに応えて現地視察に来た愛知県立芸術大学岩間賢准教授とともに、町内小中学生を対象に「夏休みポスター教室」を黒川マルケで開催。秋には同大学院生が滞在制作し、地域の作家とともに「アートdeアッと!おばけやしき」を東座で開催、会期終了後、黒川マルケでアーティストトークを実施した。さらに嶋田は、中津川市にある「明治座」で2016年に始まった「歌舞伎小屋アートトリエンナーレ」に2019年に東座として連携し、地歌舞伎小屋を紹介する「地歌舞伎小屋ここんとこ展」を開催した。
こうした活動を重ねた結果、井上信也がアーティスト・イン・レジデンス事業の第1号に選出され、黒川にある旧辻オルガンを調査して、2019年11月に成果発表を行った。