〜ながラーインタビュー vol.7

人と人、人と作品、人と場所をつなぐ活動に取り組むアートコミュニケーター「〜ながラー」。2020年度からスタートし、現在では約50名が活動しています。
初年度の終盤に行った「実践ゼミ2〜4  舟のおもしろい公開日誌をつくろう」では、〜ながラー同士でペアインタビューを行いました。

コロナ禍によるオンラインミーティングでの活動や、「この舟のろう式」によるオリジナルな企画のあゆみ、世代や職業が異なる人たちとのコミュニケーションなど、さまざまな体験談が綴られています。

インタビューの公開にあたり、実践ゼミの講師である多田智美さん、妹尾実津季さん(株式会社MUESUM)に監修していただきました。

仲間とともに、そして成長 | 吉原真由美 さん

聞き手・文:鈴木昌泰

 ~ながラーの活動が少しひと段落した12月、特に目的がなくてもメンバーが集える「DIY造船所」を立ち上げ、所長を務める吉原さん。そんな彼女に特に印象に残っている活動を振り返ってもらった。

「2021年1~3月に行った、美術館の正面玄関に設置している検温タブレットのデコレーションかな。無茶ぶりがあったり、途中で企画がひっくり返ってしまったり……、活動するたびに困ったことが起きて大変だったので」と、吉原さんは、活動中に巻き起こった事件を思い返しながら語ってくれた。

検温タブレットをつくる吉原さん(左)

「でも、みんなでつくる楽しさを味わえる機会になりました。〜ながラーのメンバーって、困っている人がいたら、誰かがすっと助けの手を差し伸べてくれるんですよね。私は普段、共同で作業することってあんまりないんだけど、『あぁ、すべてを一人だけでやらなくてもいいんだな』と思えて、新鮮でしたね」と続ける。そんな吉原さんの言葉から、〜ながラーの活動を通して仲間ができたこと、その仲間と一緒に成し遂げることができたことへの喜びが感じられた。

それは彼女が「DIY造船所」を立ち上げた理由にも表れていた。「私たち〜ながラーは、11月3日に開催したイベント“アートしながラー”に向けて、怒涛の準備を進めていましたよね。でも、なんとか乗り越えて、無事幕を閉じたら、少し手持ち無沙汰になっちゃって。そんなとき、部室のように部活動がないときでも集まれる場所があるといいなと思ったんです」と振り返る。その言葉の通り、「DIY造船所」(*1)の活動は、まるで大人の部活動のように、みんな真剣だけど楽しそうだった。

さらに、彼女は活動を通して、自分の成長も感じられたという。「〜ながラーの活動は、常にトライ&エラーの繰り返しでした。でも、エラーをエラーのままにはしたくない」とはっきりとした口調で話す。そして「所長を務めるにあたって、“いい社長とはどうあるべきか”を考えながら活動していました。そのなかで、たくさんの人とともに仕事をするときは、遠慮だけしていてもダメだと気づいた。吉田拓郎も“わかり合うよりは確かめ合うことだ”って言ってますし(笑)」と続ける。彼女の社長見習いは、はじまったばかりだ。

(*1 ちなみに、ほかの~ながラーの舟には「~丸」の名前がついているが、このチームでは「舟になる前の集まり」の意味合いで「造船所」のチーム名がついている。)

やりたいことと、~ながラーと | 杉山正彦さん

聞き手・文:田中光城

美術館での活動も長く(*2)、勝手知ったるベテランの杉山さんに、“~ながラー”についてお話をうかがいました。

◇~ながラーになってよかったこと

うーん、と少し考えながら「コロナでオンライン研修になったこと、Zoomは今まで経験しなかったから」とオンラインの良さ、実際に会うリアルの良さが改めてわかり両方を経験できたのが印象深かったとコロナ禍も肯定的に捉えます。

 

◇一番印象に残っていること

「所蔵品、対話型鑑賞を当初からやりたかった」と即答。

“舟”とよばれるグループ活動で美術鑑賞グループをつくり、「メンバーと出会えたことが収穫」。少しずつ関係も深まってきたが、11月3日のイベント「アートしながラー」では、コロナの影響で、参加人数の制限もあり、「手探りでやったが活動は深まらなかった。それ以降は尻すぼみの感がある」と少し残念そうに話します。

「もうちょっと活動が出来たのかなー。今は次へコマを進める足がかり、手がかりみたいな感じ」とあくまでも現状とその先へと俯瞰的に話します。

「〜ながラーと おしゃべり・鑑賞会」の様子。杉山さん(中央)

◇そもそも~ながラ―になる動機

元々の動機は、「美術館サポーターだったが、サポーターは企画は出来ない。企画から実行できることが〜ながラーへの応募の動機」と長い活動歴があるがゆえ、目的が明快。

「あれこれやりたいことはあるが、知識・技能のこともあり一歩も進んでいない感じがしている。」と状況への思いを率直に語る。「技術、技能持った人がいる、それぞれの特技もある。またハンディキャップもうまい具合に取っ払えばいい。それが多様性への理解だと思う」また「美術館でなく、ボランティアがやることがいい。ゆるく出来るから」と~ながラーの意義を語る。

今後は「ハンディキャップのある人達との鑑賞会」を是非やりたいときっぱり。

 

◇自らのやりたいことへやる気・意欲溢れる杉山さんに最後に一言

「もどかしい一年 コロナのせいとはいわないが」という言葉に杉山さんの一年の思いが込められているように感じました。

(*2 〜ながラーの活動は2020年からスタートしたばかりですが、杉山さんのように「サポーター」としてこれまで美術館活動に関わっている方もいらっしゃいます。サポーターについてはこちら。

『架け橋』のような存在 | ニシムラ さん

聞き手・文:中嶋裕巳

 岐阜県美術館のリニューアルオープンをきっかけに〜ながラー募集に興味を持った岐阜県在住のニシムラさん。学生時代は建築やインテリアを学び、情報を他者に発信するといった「伝える」事をお仕事として日々試行錯誤してきた。休日に美術館を巡るなど美術鑑賞を趣味としていたが、ボランタリーなスタッフ(*2)である〜ながラーに参加するのは、人生で初めての体験だったという。

彼女が参加した〜ながラーの舟の名は「音×アート丸」。昨年月3日に文化の森で開催された秋祭りの中で、岐阜にゆかりのある音や日常の音と一緒に《大きな枢機卿》を鑑賞する企画だった。ニシムラさんは、赤ちゃん連れのご夫婦との微笑ましいエピソードを笑顔で語ってくれた。「岐阜にある様々な音を視聴する中で、餃子をフライパンで焼く音に赤ちゃんが反応しその場にいたスタッフやご夫婦と一緒に皆が笑顔になった。企画を考えた意図を超えて、アートを通して人と人が一瞬で繋がれる、何かが伝わった瞬間を実体験できたことが楽しかった」。

「みんなで楽しもう♪ 音×アート丸」の活動より。西村さん(左から2人目)

また「ながラー」の活動を通して四季折々に変化する庭園の景色の移り変わりに「枢機卿の背景にある大きな窓を通して木々が紅葉していく季節の変化によって1年を通して楽しめる県美の魅力に改めて気づけた」とも語っていた。 2 年目となる「音×アート丸」は、新しく県美の所蔵品(モノ)から連想する音を想像し、楽器を作って演奏するといった過程(コト)を楽しむ計画をしているという。自分たちの予想もしなかった音とアートの面白さを参加者と一緒に見つけていく、この 1 年の活動を通して彼女自身が実体験したながラーの活動の意義とは、岐阜県美術館(アート)と多くの人々とを繋ぐ、「架け橋」のような存在でありたいと彼女は語った。

(*2)アートコミュニケーターの活動は無償ですが、〜ながラーの主体性ある参画を大切にしているため、ボランタリーなスタッフと位置付けています。