ながららぼ1「岐阜県美術館の教育普及プログラムとは?」
「ながららぼ」とは
~ながラーの活動は、基礎ゼミ以降のスケジュールがありません。自由度の高いプロジェクトを~ながラー全員でつくっていくとき、ヒントになるのはどんなことでしょうか? 美術館にあるものや、進行中の企画に注目して、「活動の手がかり」をつくる会が「ながららぼ」です。
第1回では、岐阜県美術館の教育普及プログラムで活用している《Such Such Such》を体験し、「アートコミュニケーション作品」と「アートコミュニケーター」の役割について、理解を深めました。
「ながららぼ1 岐阜県美術館の教育普及プログラムとは?」
7月10日(土)13:30~15:00
会場:アートコミュニケーターズルーム
参加人数:〜ながラー 18人
当日のながれ
最初に《Such Such Such》についての簡単な紹介、作者である日比野館長の言葉を読むことからスタート。
>> 《Such Such Such》とは?
4グループに分かれ、さっそく展示室に作品を見に行きます。ファシリテーターをつとめるのは、〜ながラーの1期メンバーです。どんなことが描かれているか、どんな風に感じるか、まずはグループで話しながら作品を見ていきます。
今日は2つの作品を鑑賞します。対象作品は、開催中の所蔵品展・岐阜県青少年美術展から、ファシリテーターが選びました。
作品を見たあと、展示室を出ると、たくさんの「もの」が乗ったテーブルがあります。ここから、「私と作品をつなぐもの=コネクター」を選びます。2つ作品を見たので、2つのコネクターを選びました。
2つのコネクターを見て、自分の感じたことを「スケッチ」にしていきます。
完成したら、どんな表現が生まれたかを話し合いました。コネクターを選んだ理由や、スケッチに表現されたストーリーを聞き合うと、それぞれの感じ方を知ることができます。「なるほど!」「そんな風に考えていたのね!」と、たいへん賑やかに言葉を交わす〜ながラーたち。また、他のグループの作品も見てみます。この絵を描いた人は、どんな作品を見て、どんなことを感じたのでしょう?
《Such Such Such》の体験はここまで。(※今回はコンパクトなバージョンを体験しましたが、実際のプログラムでは3つの作品を見ていきます。)
ここからは、体験をふりかえりながら、アートとコミュニケーションについて考えを深めていきます。まず、次の問いをグループで話し合ってみました。
Q1.《Such Such Such》は、どんなところが「アートコミュニケーション作品」だと思いましたか?
- 美術館にあるのは「完成した作品」というイメージがあったけれど、《Such Such Such》は、今まさに、みんなと一緒に作り上げている、この場で完成していく作品、そんな風に感じた。
- 誰かと一緒に作品を見ること、スケッチをすることは初めての体験で、新しいものが生まれていく手応えがあった。
- 1人で作品を見るときに比べて、みんなで作品を見ていくと、印象が変わる。同じ作品を見ていても、みんなが違うコネクターを選ぶ意外性があった。「え〜っ、なんでそうなるの!?」と聞き合うことで、エネルギーのあるコミュニケーションができる。それがとても楽しくて、この体験自体が一つの作品なんだと思った。
- ファシリテーターが選んでくれた作品が、とても良かった。自分では注目しない、どちらかといえば苦手なタイプの作品だった。でも、色々な人の見方、感じ方を聞いて、思いもしなかった広がりがあった。そういう関わりが見出せるところが、アートコミュニケーション作品なんじゃないかな。
- 参加していて、感じたことを思ったままに話せる、そんな安心感があった。ファシリテーターがその空気を作ってくれていて、自分を自由に表現できる、そんなところ。
- 普段、美術館で作品を見ていると、「作品を離れたところから見る」という感覚があったけれど、《Such Such Such》をやることで、自分から作品に、一歩、もう一歩と、どんどん近づいていく感じがあった。作品の中に入り込んでいって、自分から作品に関われる、そんな感覚があった。
- 作品に「みんなで関わっていく」ところだと思う。コネクターを持って、スケッチを描いて、一緒に話すことで、見方が広がっていく。自分が主人公になって体験していく、そんな風に感じた。
ここで再度、日比野館長の言葉や、鑑賞研究のなかで《Such Such Such》が紹介されている部分を読み、この体験の中で起こっていることをひもといてみました。
言葉で作品の解釈を豊かにしていく「対話型鑑賞」の要素に加えて、コネクターやスケッチのような、言葉以外の表現があることが《Such Such Such》の特徴です。
自分と他者の違いに目を向けたり、作品を見た時のイメージを表現したりすることから、作品をより豊かに解釈することができ、また一緒に体験する人たちとの交流も深まっていく・・・そんな言葉がこれまでの参加者アンケートなどでも多く登場しています。基礎ゼミでは、講師の西村さんから「話をきく人が力をもっている」というポイントが登場しましたが、作品鑑賞でも、作品を「みる人」、そして、どんな風に感じたか「きく人」の存在が大切なのではないでしょうか。
さらに、「アートコミュニケーション」につながるキーワードとして、私たち「アートコミュニケーター」の役割も考えてみます。
今回は、1期のメンバー4名がファシリテーターとして、作品を見るときや、話し合いでの進行役をつとめてくれました。そこで、次の問いをグループで話し合ってみました。
Q.2 グループのファシリテーターは、 どんな働きかけをしていましたか?
ここでは、ファシリテーターの話を聞く姿勢、話しやすい雰囲気づくり、作品選びについて、などのキーワードがあがりました。また、ファシリテーターから、どんなことを心がけていたか、ということも話してもらいました。4グループそれぞれで、ファシリテーターの個性や思いやりが発揮されていたようです。
ファシリテーターの語源「Facilitate」には、「促進する」という意味があります。作品と人、人と人をつなぐアートコミュニケーターの活動では、「作品を見て、感じること、考えつづけること」が、人や作品への理解を深めていくときに欠かせないポイントです。「みる」体験を「促進する」ことから、アートを介したコミュニケーションが育まれる…そんな要素が《Such Such Such》にはあるのではないでしょうか。
〜ながラーのふりかえりから(抜粋)
- 言葉だけでなく、コネクターというモノを介して他者と作品の理解を深め合うという手法がとても新鮮でした。またこうしたコミュニケーションそのものが「アート」になるということも興味深かったです。「しゃべらない対話型鑑賞」、私にとっては「大いにアリ!」でした。
- これまで私は作品とは一対一で向き合うだけのものだと思っていましたが、今回の体験を通して、他の人がどんな風に感じたのか知ったり、自分はこう感じたということを聞いてもらうことで、感じ方は人と違って良いし、自分の感じ方も大切にして良い、尊重しあえるってとても素敵だなと思いました。
- 美術館って、作品を観に行くだけじゃなくて、誰かに会いに行くところであっても良いのかな〜と感じました。
- 「コミュニケーションもひとつの作品」という考え方が面白かったです。西村さんが話されていた「きき手」がいるからこそ対話が深まることのように、「味わい手」がいるからこそ作品・作者との対話が深まるのだと改めて感じました。コネクターやスケッチ等のことば以外のツールを通じて感じたことを共有し合えたのも、いろいろな感性の扉を覗き込めたようで楽しい体験でした。
- 美術館にはいくつもの可能性がある。大きな価値と機能を持っている。けれど、ぼくが知っていたり、使っているのはほんのわずかに違いない。それを拡大したい。それがアートコミュニケーターとしてのぼくの願いになりました。
スタッフノート
《Such Such Such》は、通常であれば、岐阜県美術館のホールで、いつでも・だれでも体験することができますが、現在は新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から設置を中止しています。「コネクター」を使用したのは、美術館の中でも久しぶりのことでした。春の所蔵品展での「ナンヤローネ アートツアー」は休止となってしまったのですが、今度は〜ながラーたちが、これから美術館に来る人に「アートとコミュニケーション」を届けるビジョンにつながったことと思います。まずは実践するアートコミュニケーター自身が、作品や人と交感する豊かさをしっかり体験する、そんな1日になりました。