【基礎ゼミ】第6回〈合理的配慮と不当な差別的取り扱い〉

【基礎ゼミ】第6回〈合理的配慮と不当な差別的取り扱い〉

実施日:2023年7月8日(土)10:30〜15:00
会 場:岐阜県美術館 講堂
講 師:川島聡さん(放送大学 教授)

内 容:美術館に集う多様な来館者をとりまく、障がいや差別といったキーワードを切り口に、「障がいの社会モデル」から「障害者差別解消法」、そして「合理的配慮」について学びます。

障がいとなにか、差別とはなにか

身体的・精神的な障がいのある人が、社会にある様々な障壁によって生活のしづらさを感じていることや社会の状況を学び、美術館を必要としている人にアートコミュニケーターとして何ができるかを考えていきます。
今回の基礎ゼミでは、障害者差別解消法が定義する「差別」についての理解を深めていきます。

「合理的配慮」と「不当な差別取り扱い」

合理的配慮とは、障がい者が平等な機会を享受できるように、提供側が過重な負担を伴わない限りで、個々に応じた配慮をすることです。
様々な人を包摂するために、従来のルールに例外を設け、障がいのあるなしに関わらず平等な機会を享受できるように個々に応じた配慮を行っていきます。

合理的配慮

合理的配慮を提供する上で、
・個々のニーズ
・非荷重負担
・社会的障壁の除去(バリアフリー)
・意向尊重
・本来業務付随
・機会平等
・本質変更不可
これらの7つの要因を考慮しながら様々な来館者の声に耳を傾け、配慮は自分の考えだけで行うものではなく、相手の望むことを負担のない範囲で行うことが必要です。

考えてみる

次は確認問題で事例をとおして、差別に当たるか当たらないか、なぜそう考えるのかをグループでディスカッションしました。
今日の講義で学んだことや、これまでの自分の経験から検討し、厚生労働省・国土交通省の指針を基に差別についての理解を深めました。

また、美術館で過ごすうえで「これは不当な差別にあたるのではないか」「これは合理的配慮の不提供にあたるのではないか」と思う事例について考えていきます。
終了時間が来てしまったので、これは「~ながラー」が今日の講義を踏まえて考える宿題になりました。

宿題:美術館を舞台に「これは不当な差別的扱いに当たるのではないか?」「これは合理的配慮の不提供にあたるのではないか」と思う事例を考えてみましょう。
(実際に出会った場面はもちろん、もしもこんな状況があったらどうだろうか?という仮定でも良いです。想像してみてください。)

〜ながラーの解答(ピックアップ)

・福祉施設の皆さんと打ち合わせをした時、障がい者によっては、補助具の特質から雨に濡れるのが非常に困る方がいらっしゃるとのことでした。また、普段から障がい者やお年寄りの方も雨天時に駐車場から移動するのは大変な困難を伴うと思われます。
せめて、おもいやり駐車場と入口までの通路に屋根を設置することを要望された場合、これは合理的配慮の不提供にあたらないでしょうか?

・例えば、発達障がいのため、ずっとしゃべりっぱなし、あるいはその場にふさわしい声量で会話ができない子供(とその保護者や引率者)に対して静かに鑑賞してください、と注意することや、環境調整をせずそのことで展示室入室を断ること。

・ある美術館で作品を観ていた時、リクライニングの車椅子の方が付き添いを伴って展示を観ていました。その方は普通の車椅子よりも目線が低く展示ケースの中に平置きになっている作品を観ることができず残念そうでした。何か良い方法があればいいなとその時思いました。

・祖父と美術館に行った際に、貸し出しの歩行器があるのを最後に気付きました。ずっと立って作品を見るのがしんどそうだったので早く借りればよかったと思いました。合理的配慮を提供されてはいても、実際にすべての方が認知してアクセスしているかは別問題なんだなと感じました。

美術館での声掛けの工夫

美術館スタッフより、美術館での声掛けの工夫について話がありました。
悪気がなく言った一言に人種や文化背景、性別、障がい、価値観など、自分と異なる人に対する無意識の偏見や無理解、差別心が含まれ相手を傷つけてしまうことがあります。(マイクロアグレッション)
それぞれの多様な背景に配慮してコミュニケーションをとることが求められています。
配慮ばかりに固執してしまうとコミュニケーションが取りにくくなってしまいます。「~ながラー」が来館者の方と接する中で、まずは自分の言葉や意識に自覚的になり、目の前の人に向き合う意識をもって活動していければと思います。

~ながラーのふりかえり

・意向尊重というキーワードが印象に残りました。多様性が重視される世の中においては、マジョリティ・マイノリティ問わず、個人の意向をしっかりと汲み取って、来館者と関わっていく必要があると感じました。

・合理的配慮のつもりで善かれと思っての行為でも、障がい者の意向に沿っていない場合は、不当な差別的取扱いと受けとられてしまう事例などをきいて、これは日常的にありそうだな、自分も無意識のうちに差別していたり、配慮がなかったりということをしてしまっていると思いました。
「差別はあるし、誰もが知らずに差別してしまうもの」ということを常に意識しつつ、どうすれば、お互いが気持ちよく過ごせるか?を常に考えることが大切だなと思いました。

・厚労省の考えをみていくと、法律的な差別と、実際の差別(というより、相手に与えてしまっている不利益とか不快感みたいなものかな…)は違うのだなと感じました。法律から知り、考察を深めていくこともしながら、実際にその場でどのような感情が起きているのかを考えていく必要性を感じました。

・みんなそれぞれが気づきと学び、想像力を磨くしかないと思います。なぜなら「無意識」ほど厄介なものはないからです。これで今まで私も数々の失敗をしてきました。無意識なものを意識化するには常に自分の思考や感性の枠の外側にあるものに触れていなくては学ぶことができないから自分一人で気づくのは難しいと思います。少なくとも「〜ながラー」同士でお互いにその場で指摘しあうことでより良い美術館に近づくと思います。

・声かけの配慮は美術館での活動に限らず気を付けたい事項ですが、アートコミュニケーターとして活動するにあたって、美術館で嫌な思いをしたということにならないようにより注意深くせねばと感じました。来館者との会話は「明るく、しかし慎重に」でしょうか。

スタッフノート

「~ながラー」と共に美術館でのアクセシビリティについて考えていく上で、基礎となる知識を身につけられました。具体的な事例を学ぶことで、自分たちの活動場所である美術館で取り組んでいくべきことが想像できました。これからの活動に反映していくことができそうです。