グラフィックデザインの曙-加藤孝司とシルクスクリーン
グラフィックデザインの曙-加藤孝司とシルクスクリーン
加藤孝司(1916-1998 岐阜市生)は、グラフィックデザイナーの魁として、洒脱でモダンなセンスで全国的に活躍しました。1960年前後、謄写版(ガリ版)原紙の後継として躍進していた岐阜のシルクスクリーン産業と加藤は出会い、互いに高め合います。シャープで質感に優れ、最高峰の手作業の気配が美しい孔版印刷の作品群を一挙に公開いたします。デザインと印刷に焦点をあてた当館初の企画です。
謄写版からシルクスクリーンへの歴史を辿り、ガリ版原紙最後の蝋引き職人の貴重な光景も現代美術家・藤井光による映像で紹介します。
開催概要
| タイトル | グラフィックデザインの曙-加藤孝司とシルクスクリーン |
| 会場 | 岐阜県美術館 展示室 2(岐阜市宇佐4-1-22) |
| 開催期間 | 令和7年11月26日(水)ー 令和8年3月15日(日) 10時から18時まで ※夜間開館:令和7年12月19日(金)、令和8年1月16日(金)は20時まで ※展示室の入場は閉館の30分前まで ※休館日:毎週月曜日(祝・休日の場合は翌平日)、年末年始(令和7年12月26日(金)ー令和8年1月5日(月)) |
| 観覧料 | 一 般 :340円(280円) 大学生 :220円(160円) 高校生以下無料、( )内は20名以上の団体料金 ※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、特定医療費(指定難病)受給者証または登録者証の交付を受けている方とその付き添いの方(1名まで)は無料 ※ミライロIDが利用できます |
| 主催 | 岐阜県美術館 |
| 協力 |
株式会社岐阜セラツク製造所、株式会社昭和紙工、大東化工株式会社、株式会社ミノグループ |
序章 孔版の世界にようこそ
孔版印刷は、版に孔を作り、そこにインクを通すというシンプルな製版・印刷の仕組みです。謄写版(ガリ版)やシルクスクリーンはその代表です。(本展では、文脈によって、謄写版・ガリ版の両方を使用します)
謄写版は、誰でもどこでも製版・印刷ができる卓上印刷器です。反転せず「書いたまま」が印刷されることも強みです。入り組んだ字形の漢字に加え、ひらがな・カタカナなど数万の文字を擁する和文には、活版やタイプライターが不適だったことも、日本で長く愛用された所以です。版となる「謄写版(ガリ版)原紙」に薄く強靭な日本の和紙が最適であったことは見逃せません。
当時、ガリ版は、民衆が自ら不特定多数に発信し得るほとんど唯一の手段でした。それを支えたのは、謄写版原紙をはじめ、紗(メッシュ)の部分に用いる等質な絹の紡織技術、細かい条痕が刻まれたヤスリや精妙な先端の鉄筆を作る金属加工技術など、日本の伝統的なものづくりです。
戦後の岐阜で発達した、グランド印刷(を祖とするスクリーン印刷産業)は、元を辿れば謄写版(ガリ版)に至ります。紙の原料商、製紙業者、販売者や技術者が、岐阜の素材や人脈を使いながら発展させていきました。
時代とともに、複写機(コピー機)や平版(オフセット印刷)が主流となり、現代ではデジタル技術が発達し、印刷文化自体が岐路にありますが、人の営為として最後に残るのが身体性や表現です。孔版印刷には、人の手で生み出されるひたむきな力が宿っています。

藤井光《ガリ版原紙の現在》2025

藤井光《ガリ版原紙の現在》2025
1章 デザイナーの魁 加藤孝司
戦前―画工からの出発
1916(大正5)年、加藤孝司は、4人姉弟の長男として岐阜市に生まれました。
25歳の時に太平洋戦争が開戦し、川崎航空機で系統図や透視図を作る仕事に従事します。国や関連機関が募集したプロパガンダポスター図案に応募し、幾度かの入賞をした記録が残っており、その実力や積極性がうかがえます。
戦後、占領軍で図案に関わる仕事をし、当時軽視されていた図案や画工が専門的職業となりえることに大いに刺激を受け、独立開業します。「図案」や「看板」ではなく、「デザインルーム」としたのが最先端でした。
デザイン界においても、日本宣伝美術会(日宣美)や岐阜商業美術家集団(GCA)の主要メンバーとして活動し、個展・グループ展も積極的に開催しています。この章では、加藤の豊富なしごとから厳選した最高のシルクスクリーンポスターを中心に紹介します。

加藤孝司《ぎふ鵜飼》1959 個人蔵
2章 グラフィックデザイン×岐阜ゆかりのシルクスクリーン
謄写版原紙の製造販売をしていた美濃紙業所は、1949年に東京・神田で開かれた「全国孔版技術者講習会」で菅野一郎が開発したグランド印刷インキのことを知り、商機と判断しすぐに権利を買い取ってグランド印刷インキの製造を始めました。謄写版もグランド印刷(シルクスクリーン)も、版に孔をつくり、枠に張ったメッシュ状のスクリーンからインキを押し出し印刷するという原理は同じだったからです。
さらに、グランド印刷を広めるために、菅野を所長にたて、無償で技術を教える「グランド印刷研究所」を開設します。その講師を務めたのが、永瀬史朗でした。永瀬のシャープでエッジのきいたカッティングと刷りは極上で、修了生の間で伝説的でした。加藤は、その技量に刺激されたかのように、幾何学図形の精緻なデザインに傾倒していきます。
デザイン界のオピニオンリーダーであった大智浩をはじめ日宣美に集ったグラフィックデザイナーたちは、グランド印刷と響きあうようにそれぞれの得意とする表現を競いました。技術がある地点を超えたときの感動は、芸術が与えてくれるそれと同等です。グラフィックデザインとグランド印刷の競演をお楽しみください。

デザイン:加藤孝司 制作:永瀬史朗《グランド印刷》1960-1964頃 岐阜県美術館蔵

加藤孝司《美濃紙業所カレンダー1961前半(2月/ピンクに白黒)》 1961 株式会社ミノグループ蔵

デザイン:大智浩 制作:永瀬史朗《観光ポスター(JAPAN)》 制作年不詳 岐阜県美術館蔵
3章 探求とあそびごころと
幾何学構成に魅せられて
加藤は、カッティング技術を駆使する幾何学的な構成で輝きを放ちます。異なる色との関係のなかで生まれる色彩対比や、同化と呼ばれる効果を最大限に発揮するよう、熱心に探求を重ねていたことが、残された試作からもうかがえます。スイスのデザインにも感化され、刊行されたばかりの雑誌や本を熱心に集めました。
画に還る
石版画工の見習いから始めた加藤は、画にも練熟していました。晩年は、同じくデザインの道を歩んだ息子・由朗と組んで、イラストレーションの仕事も多く手掛けました。
「こぐまちゃんえほん」シリーズで知られるわかやまけん(若山憲)は岐阜出身で、20代の初めに加藤のデザイン事務所で研鑽していた時に、「デザイン的童画を描くんだ」と決意し絵本の道に入っていきました。

加藤孝司《olivetti blue》1960 個人蔵

加藤孝司《1961 JANUARY》1961 個人蔵

加藤孝司 《作品集no.1より「ア」》 1961 個人蔵
