1984年度(昭和59年度)企画展

今日の造形2
木と紙 ―自然との対話―

会期:昭和59年6月15日(土)~7月22日(日)
主催:岐阜県美術館
出品点数:68点、参考資料として飛騨地方の民具82点

本展では、天然の素材として最も古くから広く用いられてきた木と紙に焦点をあて、「自然との対話」というテーマのもと、木と紙を素材に作品を作る18人の現代作家(北山善夫、高田洋一、保科豊巳、井田照一、長谷光城、植木茂、小倉裕久、河原美比古、小清水漸、澄川喜一、関根伸夫、竹田康宏、ふじい忠一、最上壽之、田窪恭治、彦坂尚嘉、杢田たけを)の作品68点と、参考作品として、飛驒地方に伝わる臼、クワ、橇などの民具を展示した。

開館2周年記念展
日本洋画のあけぼの ―明治美術会と白馬会―

会期:昭和59年10月10日(水)~11月25日(日)
主催:岐阜県美術館
出品点数:99点(明治美術会系51点・白馬会系48点)

本展は、開館2周年を記念して、明治洋画界の二大潮流となった明治美術会と白馬会の果たした役割を明らかにして今日の洋画壇とのかかわりを問うものであった。
明治美術会は、わが国最初の洋画団体として1889(明治22)年に結成され、同年に開校された東京美術学校(現・東京藝術大学)に西洋画科が設置されなかったのに反発すると同時に、洋風美術科の団結をはかり、その振興と普及の目的を達成した。白馬会は、東京美術学校に西洋画科が設置された同じ1896(明治29)年に、明治美術会に飽き足りなくなった黒田清輝らのグループによって設立された。明治の洋画家たちが何を学び何を求めたのかを探り、併せて、山本芳翠、長原孝太郎、牧野伊三郎、北蓮蔵、渡部審也ら岐阜県出身の洋画家たちの活躍を知るよい機会でもあった。

郷土作家シリーズ2
加藤幸兵衛・卓男展 ―陶の光と彩―

会期:昭和59年12月1日(土)~1月8日(火)
主催:岐阜県美術館
出品点数:136点(幸兵衛79点・卓男51点・参考作品6点)

本展は、美濃の陶芸史に大きな足跡を残した加藤幸兵衛・卓男の親子展である。
幸兵衛(1893~1982)は、志野、織部、黄瀬戸等、美濃の伝統的技法による作陶に力を注ぐと同時に、青磁、天目、金襴手といった中国古陶磁の諸技法の研究にも励み、その駆使する技法は実に多彩であった。特にやわらかい深みを湛えた青磁と繊細華麗な金襴手の中に、彼の卓越した技量と「無私」の人柄が集約され表現されていると言える。一方、卓男(1917~2005)は、1961(昭和36)年のイラン旅行で出会ったペルシア古陶に魅せられ、その再現を強く決意した。特にラスター彩は、卓男に深い感銘を与えた。彼は20数年の苦闘の末、本場のラスター彩に勝るとも劣らない日本のラスター彩を生み出した。

’85岐阜現況展(立体部門) ―戦後生まれの作家たち―

会期:昭和60年1月15日(火)~2月11日(月)
主催:岐阜県美術館
出品点数:40点

本展は、岐阜県関係作家の多様な美術の動きを継続的に紹介するものであり、戦後生まれの若い作家20名による彫刻・立体造形の新作40点を展示、紹介した。高橋健二、高橋康雄、粥川仁平、北川晶邦、長沼克巳、小倉裕久、伊藤茂、蒼原好彦、高木義人、大嶽有一らは、ものの形を見せようとする単一体による西洋彫刻の考え方を出発点とした作品を発表し、加納朋文、弓削義隆、長澤知明、佐木謙介、土屋明之、あんどう雅信、林武史らは、情景や状態を見せようとする複合体としての作品で、物体間の関係に眼のゆくものであった。郷晃、鷲見和紀郎は、単一体による作品ではあるが象徴的な表現を試み、遠藤利克は、人間との原初的な関係をもつ水、火、木といったものとのかかわりを作家の行為を通して作品化した。

印象派と埼玉ゆかりの画家展(埼玉県立近代美術館・岐阜県美術館交換展)

会期:昭和60年2月16日(土)~3月24日(日)
主催:岐阜県美術館
出品点数:89点

埼玉県立近代美術館は、当館と同年同日に開館し、その収集の当初の方針は、埼玉における近代美術を中心に据え、そうした美術家たち(特に洋画家)に直接間接の影響を及ぼした、印象派からエコール・ド・パリまでの近代フランス美術の成果をもおさえようというものであった。他方、当館の収集の主軸の一つが、ヨーロッパ世紀末の象徴主義に密接なかかわりをもつオディロン・ルドンであることから、この交換展はルドンの生きた時代の背景としてのフランス画壇の紹介をある意味で兼ねるものとなった。