1986年度(昭和61年度)企画展

’86岐阜現況展(平面部門) ―戦後生まれの作家たち―

会期:昭和61年4月11日(金)~5月11日(日)
主催:岐阜県美術館
出品点数:76点

本展は、「戦後生まれの作家たち〈立体部門〉」に続いて、〈平面部門〉の作家20名の作品76点をとりあげた。出品作家の造形意識は多岐にわたり、作品は〈平面〉にこだわることなく、技法・素材ともに多種多様であった。総評の中には、概して作品の仕上げが巧みでややおとなしいなどの声も聞かれたが、平面・立体といったジャンル、郷土という地域性では捉えきれない現代美術の様相を色濃く反映していた。

英国・国立ウェールズ美術館展 ―イギリス風景画から印象派へ―

会期:昭和61年7月26日(土)~8月24日(日)
主催:岐阜県美術館
後援:外務省、文化庁、英国大使館、ブリティッシュ・カウンシル、朝日イヴニングニュース社
協力:(株)ブレーントラスト
出品点数:90点

本展は、国立ウェールズ美術館の所蔵品の主たる風景画から印象派までをたどる展覧会である。ウェールズ美術館は、一面、風景画館の趣を持つ。ウェールズ地方は、リチャード・ウィルソンに代表される18世紀イギリスの古典主義的風景画の作家を輩出した土地である。この地元作家たちのコレクションを核として、同館は、西洋風景画の系譜を歴史的にたどるという収集の基本方針を持つに至っている。
独自の自然観に裏付けられた日本・東洋の絵画伝統とは対照的に、西洋絵画の主体はあくまで人物像である。風景画の萌芽は、古代ローマの絵画に既に現れているとはいえ、独立したジャンルとして発展するのは、17世紀のオランダ市民社会の絵画からである。本展は、西洋風景画を見直す好機となるものであった。

国立美術館所蔵美術名品展・浜口陽三展

会期:昭和61年9月20日(土)~10月12日(日)
主催:文化庁、国立国際美術館、岐阜県美術館
出品点数:126点

本展は、文化庁企画、国立国際美術館所蔵品による、浜口陽三回顧展である。浜口陽三は、1957(昭和32)年のサンパウロ・ビエンナーレにおける国際版画部門の大賞受賞以来、海外在住の日本人作家として常に高い評価を保持してきた。1950年代は、戦後日本がはじめて海外の国際美術展に進出した時代であるが、ここで評価されたのは、国内では必ずしも重視されていなかった版画であった。身近な事物、テーブルの上の食器や果物、あるいは蝶や貝のような自然物をモチーフに、最小の絵画空間の充実を図る浜口の版画は、国際的にその価値を認識されている。

川合玉堂展 ―日本の自然と心―

会期:昭和61年10月17日(金)~11月16日(日)
主催:岐阜県美術館、福井県立美術館
出品点数:117点

1873(明治6)年11月、愛知県葉栗郡外割田村(現・一宮市)に生まれた玉堂・川合芳三郎は、7歳の時に岐阜市に転住し、多感な少年時代をこの地で過ごした。豊かな自然に恵まれた岐阜での生活が、自然を好む彼の個性を培い、後の玉堂画業の根幹を成すこととなった。
玉堂が初めて絵の道に入ったのは、1887(明治20)年、京都の望月玉泉の門に入った時からである。以来、1899(昭和32)年6月に83歳で世を去るまで、70年にも及び長い画業を展開した。この間に、師を玉泉から幸野楳嶺へと求め、円山四条派の画風を学び、さらに東京へ移り、橋本雅邦のもとで狩野派の堅固な画風を体得した。この東西両派の正格の画法を消化しつつ、東洋画の深奥を求め、独自の自然観照になる情趣豊かで精神な玉堂芸術を確立した。
本展は、川合玉堂芸術の全容を展観すべく、初期の修学時代の作品から明治・大正・昭和の各時代の代表作117点と写生帖なども併せて展示した。また、今まで不鮮明であった京都時代の玉堂画業について、《老松図》など10数点の初公開作品によって具体的に提示することが出来た。

今日の造形4
土と炎展 ―新たな展開と可能性―

会期:昭和62年1月6日(火)~2月11日(水)
主催:岐阜県美術館
出品点数:89点

本展は、素材としての土に焦点を当て、土を使ってどのような造形が展開されているかを概観しようとしたものである。特定の素材を通して、今日の造形を捉えようとする試みは、前々回の木と紙展、前回の世界現代ガラス展から継続するものである。
従来、土は主として実用的な器物を制作するために活用されてきた素材であり、土の造形といえば、茶碗、壺などをイメージするのが一般的であったが、本展では、純粋な立体造形としての土の有様を明確に提示しようとした戦後の作家―イサム・ノグチ、辻晉堂、八木一夫から、荒木高子、速水史朗、伊藤公象、鯉江良二、さらに松井紫朗、田嶋悦子といった20代の作家までを紹介した。